平成17年度(2005) 試験 問8 | 中小企業診断士 企業経営理論
次の文章を読んで、下記の設問に答えよ。
1960年代半ばの米国上場大企業では①経営者支配の会社が数多くなっていた。
ところが、1960年代後半には一転して第3次企業合併ブームと呼ばれるほどにM&Aが活発化した。
冬至のM&Aは②関連性のない企業を買収するものが多く、これによって一挙に巨大な会社が誕生することがみられた。
1970年代になると買収にかわって、③事業分割による事業売却が多く見られるようになった。
買収にしろ売却にしろ、米国では企業や事業の売買は日常的になり、1980年代半ば頃には、株式市場は④企業価値を最大化するための事業ポートフォリオの組み換えの場となったのである。
一般株主が取締役を解任できないほどに広範囲に株式所有が分散し、専門経営者が経営権をもつようになった会社をいう。
金融機関や事業会社などの法人によって株式が保有され、株主に代わって法人株主が専門経営者を任命するようになった会社をいう。
専門的な経営能力をもつ大株主から選出された取締役が、取締役会の過半数を越え、経営権を掌握するようになった会社をいう。
従業員から取締役を選び、彼らに経営を委託する会社をいう。
従業員に創業者一族がいなくなった上場大会社をいう。
アマルガメーション
コングロマリット化
コンソーシアム化
ストック・ホールディング化
レバレッジド・バイ・アウト
戦略的提携がM&Aに代わって登場してきたので、M&Aが下火になった。
多様な現業部門の血の通わない数値データで管理する傾向が強くなって、経営成果が上がりにくくなり、多角化のコストが上昇した。
買収した異業種企業の統一的な管理が難しくなり、管理が困難な企業や事業を切り捨てた。
ファンド・マネジャーやファイナンス専門家が企業価値を厳格に評価するようになり、被買収企業の業績が短期的に問われるようになった。
無秩序な買収の資金コストの負担を軽減するために、売却可能な事業を切り売りした。
各種のファンドや投資会社がM&Aを繰り返しながら投資収益の増大を追及したので、株式市場が活性化した。
資産と負債の総合管理(アセット・ライアビリティ・マネジメント:ALM)を重視した経営が展開されるようになり、資金の運用リスクが高まった。
小規模企業でも金融機関からM&A資金を簡単に調達できたので、M&Aを通じて大企業を手に入れて新興大企業にのし上がることが見られた。
短期的な利益志向を強め、企業の持続的な成長を支える組織的な経営能力は軽視される傾向が強まった。
買収によって一株当たり利益を高め、上昇した株価をてこに新たな資金を調達して、次の買収を行うという企業価値追及がみられるようになった。
1957年の資本自由化を契機に株式の相互持ち合いが進み、買収に必要な株式取得が困難になった。
財閥が復活し、その系列企業の結束が固くなって、買収ができない状況になった。
終身雇用に代表される日本的経営が強く、M&Aを嫌悪する経済的、社会的気運が強く存在した。
メインバンク制による系列融資が企業間の結束を強めたので、系列への外部からの参入を阻止できた。
わが国では米国のような株式市場の整備が不十分であり、M&Aを目的としたファイナンス会社も少なかった。